上市ヶ尾の歴史

古代より活気ある生活の場として発展してきた上市ヶ尾。

6世紀後半〜7世紀に築かれたとされる市ヶ尾横穴古墳群(神奈川県指定史跡)が昭和8年に発見され、後世に伝えるべく、東急田園都市線開通前の区画整理に於いて歴史公園として整備され、住民の憩いの場、歴史の学びの場として愛されています。晴れた日には箱根外輪山・大山・丹沢、甲府多摩の山々、更には雄大な富士山を眺めることができる最高の公園と云えます。また町内会館の前の通りは大山街道(現在の246号線)といい、大山詣、そして東海道の裏街道として栄え、南北には日野往還道(現在の横浜上麻生線)が当地で交叉し、大山道の荏田宿、長津田宿の中間地として旅館の名残りや、昔話がいくつか残っています。
 ・地蔵堂の統誉上人様の話 → (疫病から村人を守る為に即身仏になられた)
 ・猿田坂の話 → (地蔵下の猿田の坂は去るに通じるので嫁入り行列は避けて通った)
 ・地蔵堂(千日堂)は今から約300年以上前の元禄時代の頃行脚修行僧がこの地を訪れ、千日の托鉢をもってお堂を建立された。など地域には興味深い話が数々伝えられています。

約300年間、粛粛と伝え続けられる十夜講。

統誉上人様(1751年没)が十夜講法要を鎌倉よりこの地に伝え現在でも毎年11月30日に催行されその中の双盤講は横浜市無形民俗文化財として指定されていて、当町内会としての貴重な財産と云えると思います。

古くから交通の要所だった町は現在でも。

現代に於いては東名高速道青葉インターチェンジに首都高速北西線が開通し、東急田園都市線市が尾駅と車・電車とも交通の利便性が向上しました。
更に青葉区の中枢としての区役所・公会堂・警察署・消防署等が一堂に集まり、歴史と文化の共存した町として発展し続けています。